対バンの思い出(1993,4年頃)

TEXT by 初代atmos店長 今井タカシ

前回から時間がだいぶ空いてしまった。
意外とこのブログを書くのにすごく労力を使うのは、あまり知られていない。
なんせ30年近く前の話を、思い出して、調べて、時代考証して、写真を選んで、記事にして、なんてやってると、あっという間に5時間くらい経ってしまう。
そんな作業を就業中には、出来ないので、土日に執筆作業をする訳だが、これはこれで半日潰す事になるので、まとまった時間が取れないと、書くことができない。そんな言い訳がましいことを、ボヤいて、今回も書き進めていこうと思う。

前回は3枚目のアルバム「バカ&シロート」をリリースした頃のことまで。
この頃からバンドスタイルでライブにも挑むようになり、様々なバンドとも対バンしだした。ライブもクラブからライブハウスへと主戦場が移り、新宿ロフトや、アンティノック、代々木チョコレートシティ、下北沢 屋根裏など。それと毛色は違うが、渋谷DJバー・インクステイックとか、渋谷クラブクワトロ、日清パワーステーションとか。
いろいろな場所で、武者修行ばりにライブをしまくっていたな。
大概は、ハードコアバンドとの対バンが多く、当時、最も勢いがあり、最高にイケてたHARD CORE バンドの筆頭株NUKEY PIKESや、COCOBAT、VOLUME DEALERS、COKEHEAD HIPSTERS、BEYONDSとか、当時デビュー間もないHi-STANDARDとも対バンしてたな。
そのちょい前だと、大阪に行ってS.O.Bとも対バンしたし、R.F.DやCOW COWや大川興業、電撃ネットワーク、COOL ACID SUCKERSとも演ってたな。
ヒップホップ界隈だと、この頃になると、相手にしてくれる先が無く、辛うじてZINGIと対バンしたり、キミドリとかシャカゾンビなんかとも、演った記憶があるけど、この時期だったのか、どうなのか?記憶が定かではない。
それと、何故か真心ブラザーズとも演った思い出が。。。
結構色んなバンドと対バンしたのだが、あんまり思い出せないなぁ。
この頃、対バン相手のライブを、まともに観ないで、自分たちの出番まで外に飲みに行ったり、楽屋内に籠もってメンバー同士で遊んだりしてた影響か、記憶が曖昧。

この文脈とは全然関係ないけど、何の番組かよく覚えてないけど(テレ東系だったような、、、アサヤンかな??)お笑い芸人のナインティナインの岡村にラップを教えるというコーナーがあって、ラップを教えた記憶があるんだけど、その番組の録画なんて、誰か持ってるかな??

そんなこんなで、ライブしまくってた訳だが、ライブの記憶より、打ち上げの飲み会の記憶とか、クラブでのナンパ話とか、楽屋での遊び方とか、どうでもいい関係ない所は、変に詳細に覚えていたりするのだが、肝心のライブの記憶が、どうにも薄い。
ただ、一度ライブ前に時間があり過ぎて、(確かリハが18時頃で、本番が深夜2時頃)外に飲みに行ったら、メンバー全員飲み過ぎて、ライブ時には泥酔していて、ヘロヘロでライブ演ったのだが、その時は酷すぎた。自分も泥酔していたが、ライブ始まってから、暫くするとドラムの音がスカスカし出して、おかしいなと思って、ドラムスの国ちゃんを見遣ると、もちろん彼も泥酔しているのだが、何故かスティックを持っておらず、指が血塗れになりながら、素手でドラムを叩いているではないか!なんで??予備のスティックは??なんて思いながらも、そのままライブを続行するのだが、もうめちゃくちゃで、散々な出来。その時以来、飲んでからライブするのはご法度になったのだが、、、
泥酔してステージに立って、何度も自分自身やらかしているので、他人を咎めることなんて、できる立場には居ないのだが、メンバー全員個性的で、酷いライブを何度も何度も繰り返して、反省もしないで、まぁ、よくあの当時やってたな。
酷いエピソードで思い出すのは、なんと言ってもギター男の、ライブにギターを持ってこない事件。しかも1回だけじゃない。
ギタリストがライブにギターを持ってこないなんて事が、あり得るのか?
ギター男は、極度の貧乏で、とにかく金を持っていない。そんなギター男でも、ギター男という名前の通り、ギターを弾かせたら天下一品の腕の持ち主。そんなギター男に惚れ込んで、なんとギターメーカーの最高峰Gibsonからモニターとしてレスポールが提供されていたのだった!当時のGibsonの日本でのモニターは近藤房之助さんとギター男の二人しかいなかったのだ!この事実は、素直に凄いことだと、未だに思っている。ただし、ギター男の人間性にまでは、Gibsonも気付いてはいなかった。
Gibsonの人に先見の明はあったと思うが、如何せん、ギター男自身が全く自制の効かない男で、金のないくせに、自分の欲望には真っ直ぐで、良からぬものに手を出し始めていたのも、この頃からか、、、
ライブ前のリハをすっ飛ばして、本番前に慌ててやって来て、事もあろうに、ギターを持ってきて無い!
理由を聞くと、質に入れてしまって、取り出す金も無いから、そのままで来たと。
お前、ライブどうすんだよ、と尋ねると、対バンの人から借りると言い出して、知らない対バン相手の、見知らぬギタリストのところに行って、ギターを貸してください、なんて曰う。人の良い、見知らぬギタリストから借りたギターが、テレキャスターで、ヘビーなサウンドを売りにしてきた自分たちが、スッカスカのテレキャスの音で、ライブするという前代未聞事件が勃発。
とか、ギター持ってこない別の時のライブには、Gibsonを質に入れっぱなしで、Gibsonの人が見に来てるのに、他人から借りたギターで、しれ〜っと演奏してたりして、しかも、Gibsonのレスポールを質に入れて、流れちゃうと、そのモニター用のギターには、製造番号がしっかりと刻印してあって、誰のものか、バッチリ分かっちゃう仕組みで、Gibsonの担当者が、ギター男にスゲェー怒ってたのを覚えている。。。

書き出すと、また、色んな思い出が、次々と思い出され、これはこれで、筆が進まなくなる要因でもある。

今回はここまでで、次回は海外アーティストの前座の時の思い出話でも、語ろうかと思う。
意外と数多くのメジャーなアーティストの前座を務めてきたのですよ。
乞うご期待!

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