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TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )

今回は今からちょうど20年前、2003年9月〜11月にナイキから発売されたスニーカーの一部をピックアップしてご紹介させていただきます。もちろん、この他にも数多のモデルがリリースされていますが…何となくでもいいので20年前を感じ取っていただければ嬉しく思います。

※尚、ここに掲載の画像は全て独自に撮影したものです。

2003年9月6日に直営のNIKE STORE、フランチャイズのNIKE SHOPの他、一部限定店でリリースされたNon-Future Model September-2003モデルAIR SAFARIです。
本体価格 14,000円。
オリジナルは1987年のランニングカテゴリー Non-Technical ラインから登場。モデル名の由来はアッパーマテリアルにピッグスキン、牛皮、鹿皮がミックスされていたことから SAFARI と命名されたそうです。

2003年9月13日にSupremeで発売。縦縞とヒールには大阪を指すであろう「O」の刺繍が入っていて、阪神タイガースカラーと呼ばれていました。因みな2003年は阪神タイガースが1985年以来18年ぶりにリーグ優勝した年(今年2023年も2007年以来18年ぶりの優勝)。
尚、この頃のNIKE SBは主にSupremeの他、全国で20店舗に満たない正規取扱店のみで展開。その為、初期のNIKE SBシリーズの国内正規流通数は各モデル1,000足前後ではないかと言われています。
本体価格 11,000円。

UKで発売されたNIKE DUNK LOWとWMNS DUNK LOWです。
このモデルはアフリカに渡って活躍した獣医(DAKTARI/ダクタリ)の記念モデル?であることからゼブラ柄が採用されたとの事。両モデル共にアッパーベースにスムースレザー、オーバーレイにはざらつきのある素材が使われています。

2003年9月中旬にreal mad HECTICで先行発売され、同10月にNon-Future Model October-2003モデルとして一部の限定店でリリースされたAIR OB RAIDです。ホワイトよりブラックの方が人気が高かった記憶があります。
本体価格 各14,800円。

日本よりも一足早くヨーロッパでリリースされた2003 HOLIDAY LIMITED モデル NIKE TERMINATOR HIです。
発売当初、オリジナルに比べて丸みをおびたフォルムが不評でしたが…現存する球数が少なく10数年経って、その希少性から再評価されました。
何よりオリジナル以来、20年近く経ってからの初復刻。このグレーネイビーはターミネーターカラーと称され…atmos exclusive第1弾のAIR FORCE 1とNIKE DUNK LOWはターミネーターカラーをサンプリングして誕生した事はあまりにも有名。

HOLIDAY 2003 LIMITED EDITION Dirty Pack モデルNIKE DUNK HIGHです。
記憶が定かであれば、クラックレザー仕様のNIKE DUNKはこれが初めて。本体価格 14,000円。
尚、後にクラック加工が施されたUNDEFEATED×new balance MT580は、このNIKE DUNK HIGHのクラック部分を参考にしています。

NIKE DUNK SBが国内でもコンスタントにリリースされ始めた頃の2足です。
日本国内で最初に正規発売されたのは2002年11月に登場した初代Supreme DUNK『NIKE DUNK LOW PRO SB(304292-001/304292-131)』ですが…2003年に入り徐々に販路を拡大。新色が出る度にSupremeでも取り扱われ、NIKE SB(ナイキスケートボーディング)の認知度を上げて行く事になります。
また、Zepp OSAKA等…地方でツアーイベントを実施。2004年1月にはWHITE DUNK TOKYOと銘打った展示イベントがパリに引き続き東京で開催されました。
こういった試みが現在に至るNIKE SBシリーズの礎を築き、苦労しながらも担当され続けたNIKE JAPAN(当時)のTakashi Hosokawa氏の功績は大きい。
※NIKE DUNKの変遷については下記をご覧ください。
https://media.atmos-tokyo.com/altsnk/nike-dunk/

2003 HOLIDAYにラインナップされていたAIR MAX PLUSです。
Foot Locker専売モデルとして初登場した’90年代の後半・・・当時、国内に5店舗あったFoot Lockerでしか販売されなかった事と初のTUNED AIR搭載モデルという事で大ブレイク。その後、EU Foot Lockerカラーも登場し、話題に事欠かない状況でした。
その後、日本ではNIKE SHOPで販売が継承され…徐々に販路が広がる事に。
本体価格 16,000円。
初登場時は18,000円でしたが円高の影響なのか?約1割ほど価格が下がりました(今とは真逆ですね)。
※現在、国内ではナイキ直販とFoot Lockerグループであるatmosにて展開中。

2003年11月22日にNIKE STORE、NILE SHOP Level 1-3と一部の指定店で発売されたAIR JORDAN 1 RETRO。いわゆる8ホールのMIDなのですが、この頃は未だモデル名にMIDが付けられていませんでした。白赤黒(今で言うシカゴ)とノースカロライナブルー(今で言うUNC)はオリジナルで発売されたカラーブロックであるもののパテント仕様に加えジュエル素材のウイングマーク、更に8ホールでオリジナルとは異なるフォルムが仇となってか?敬遠する人が少なくありませんでした。本体価格 各12,000円。

2003年10月に発売されたNIKE DUNK HIGH PRO SBです。
SBに限らず2003年当時のNIKE DUNKにはローカットが人気でハイカットは不人気という観念はありませんでした。
昨今、NIKE DUNKはローカットが「カッコいい」という風潮になった要因は大きく分けて過去の2つの要因が考えられます。
ひとつ目は…2005年に発売され、絶大な人気を誇ったTiffanyカラーのNIKE DUNK LOW PRO SB(304292-402)が2013年に復刻された際、オリジナルの完全再現ではなくハイカットでの登場に落胆した人が多かった事が挙げられます。同じく2004年のNIKE DUNK LOW PRO SB “CALIFORNIA”(304292-211)もオリジナルとは異なるハイカット仕様で2014年に復刻され、連続して落胆を招きました。
この落胆はハイカットだったからではなく、ハイプ化したオリジナルの完全復刻ではなかった事によるもので、ナイキの十八番である(余計な)ひと工夫が裏目に出てNIKE DUNKのハイカットに対するユーザーのイメージを貶めるきっかけになりました。
そして、ふたつ目の理由として2019年のNIKE SB DUNK LOW PRO OG QS “PIGEON”(BV1310-013)が発売されるやいなやリセール価格が久々に大きく高騰。
これにより、NIKE DUNKはやはりハイカットではなくローカットが人気だという風潮がより強まりました。
この事からハイカットであるかローカットであるかの仕様の違いではなく、ハイプ化するかしないかでスニーカーの評価をする昨今の世相が反映されている事が分かります。
何故ならAIR JORDAN 1は過去にハイプ化したハイカットの方が、プレ値がさほど付かないローカットより人気が高いじゃないですか。
もし、2005年のTiffanyカラーがハイカットでハイプ化していたなら、ローカットで復刻されても同じ現象になったんじゃないかな?

最後は2003年11月1日にリリースされた DUNK HIGH PRO SB SUPREMEです。
説明するまでもなくSupreme DUNK SBの第2弾となります。先にも書いた様にハイカットだから不人気だった等という事は皆無。オーバーレイのクロコダイルの型押しが何とも言えない風合いを醸す名品かと思います。
また、これは個人的な感想ですが…アッパーの材質からなのか、それとももしやラストが違うのかと思うくらいしっかりとした作りでNIKE DUNK HIGH SBの中でトップクラスの履き心地という印象を持っています。
本体価格 各 16,000円。

2021年にカラーリングを変え、サイドパネルに星、オーバーレイにクロコダイルの型押しが施されたローカットが4タイプ発売されハイプ化しましたが、その盛り上がりは2003年のハイカットをリアルタイムに経験した方にとっては少しばかり物足りなさを感じたのではないかと思います。

90年代後半の氷河期に、もう後がないと決死の覚悟で臨んだ当時のナイキジャパン(のスタッフさん達)の踏ん張りが少しずつ開花し、我々ユーザーにもそれが見え始めたのが2003年。
リセール価格ばかりに気を取られ、この時代に培われたCO.JPやストリートカルチャーとの協業が財産となり、今に繋がる礎になっている事に思いを馳せる人が少なくなった事が寂しくもあり残念でもあります。

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