
スニーカーとG-SHOCK
TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )
90年代のハイテクスニーカーブームが終焉を迎えるのと入れ替わる様にG-SHOCKブームがピークに達したことを覚えている人はどれくらいいるのでしょう?
G-SHOCKではないですがswatch×OMEGA Bioceramic MoonSwatchが今年3月にファーストデリバリーされて以降、継続販売があるにも関わらずその人気は凄まじく…リセール市場では定価 33,550円(税込) の2倍から3倍の価格で流通しています。
これをかつての状況と当て嵌めるのは早計ではあるものの…個人間の転売を含めたリセールによって支えられているスニーカー人気が鈍化し始めていることから、転売の商材がスニーカーから他へ移りかけている様にも感じます。

ここで90年代のG-SHOCKブームの流れを簡単に振り返ってみることにします。
G-SHOCKのファーストモデルは1983年に登場。しかしながら、80年代後半から90年代前半にかけては薄く軽い腕時計が流行りで…その代表格がswatchだったと記憶しています。
G-SHOCK人気は日本より早くアメリカで火が付き、1994年に公開された大ヒット映画『スピード』の劇中で主演のキアヌ・リーブスがDW-5600C-1Vを着用していたことで日本にも伝播。同モデルはマニアの間でスピードのニックネームか付けられ人気を博します。

1995年にはG-SHOCK唯一のダイバーズモデルであるFROGMAN(DW-6300系)の後継機種 DW-8200系が登場。発売当初は店頭に暫く残っていた限定モデルのDW-8200A-9Aは後に黒金またはゴールドチタンフロッグマンと呼ばれ、定価 23,000円に対しリセールショップでは800,000円の値が付けられる程にヒートアップ(大阪戎橋にあったリセールショップにて)することになります。
翌年にはDW-8200系FROGMANの限定第2弾(イルカクジラ/通称オーシャン)がリリース。


そして、1997年4月に初のSTUSSY別注(DW-6900系)が発売。翌月には乳白色のスケルトンボディのW.C.C.S FROGMANが2カラー登場したことでG-SHOCKブームはピークを迎えます。更に10月にはMEN INシリーズ第1弾となるMEN IN BLACKが登場。
時を同じくしてAIR MAX 95のイエロークラデが初復刻されるものの…一旦、冷え込んだスニーカーに光が当たるのはこの先数年の時を要します。

一方、G-SHOCKはその勢いを借りて前年に超入手困難だったスケルトンボディのW.C.C.S FROGMANを新たに4カラー発売。前作97年版が各2,000本という少量展開だったのに対し、98年版は各カラー共に数倍が流通。
その結果、定価25,000円だった97年版がリセールショップで200,000円から300,000円で販売されていたのに比べて、98年版は定価26,000円に対し50,000円から60,000円というリセール価格に落ち着きます。これが妄想と幻想から覚めた後の現実です。


1998年から1999年にかけてG-SHOCKブームが終わったのかというとそうではありません。
イルカクジラやW.C.C.Sを代表とするファウンデーションモデル、ショップ別注やアーティストとのコラボレーションが数多く展開されます。全体的には徐々に下降線を辿るもののモデルによってはハイプ化するものも存在しました。
ただ、因果関係はないもののnew balance MT580やNIKE CO.JPが裏原ブームと共に台頭したのと入れ替わる様にG-SHOCK人気が下降に向かったのは事実です。








現在のスニーカーと同じく、当時のG-SHOCKブーム時に現れたのがカスタムとフェイクです。
カスタムは変色してしまったスケルトンのベゼルやベルトをダイロンカラーで染めたり、バックライトを点灯すと浮かび上がるグラフィックをオリジナルのイラストや文字をプリントした透明フィルムに差し替えるというものでした。
問題はハイプ化の代表格であった黒金FROGMAN(DW-8200A-9A)がそのひとつに挙げられます。限定モデルだったDW-8200A-9Aは定番(スニーカーでいうところのインライン)モデルであるDW-8200-1Bのブラストチタン製の本体ケースを黒くメッキし、蛙のグラフィックをプリントしたフィルムを差し込み、当時は個別販売されていたDW-8200A-9A用のベルトとベゼルに付け替えれば簡単に精巧なフェイクを作れてしまったのです。結果、高額なリセール価格でフェイクを購入したという事例が激増(何処かで似た様な話…ありますよね)しました。その対策としてCASIOはG-SHOCK本体を直接もしくは正規取扱店経由で修理保守を担当するCASIOテクノに預けなければベルトとベゼルの交換及び個別販売を行わない様にしました。

2000年前後、スニーカーを取扱うのは正規店と並行店が主流でした。対してG-SHOCKはCASIOが取引きする正規店とリセールショップが乱立し、G-SHOCK人気が落ち着くにつれリセールショップは軒並み姿を消して行くことになります。
1999年頃からだったと思います。CASIOはG-SHOCKの高級化を推し進め始めます。
それまで量販店では薄い透明のプラスティックケースに入れられ壁に吊るされ形で販売されていることが多かったのを、CASIOは取引先である正規店にショーケースディスプレイ内に並べる様に協力を求めます。

また、CASIOは電池交換不要のタフソーラーや理論上10万年に1秒しか狂わないという電波時計としての機能を備えるなどの時計としての進化を実現させ、価格も上昇。ここ数年ではボディをフルメタル化させたモデルを推していて、中には200,000円を超える定価のモデルも登場しています。
かつて平均価格が10,000円から25,000円だったからこそ、コレクションアイテムとして成立していた側面がG-SHOCKにはあったのですが、高級品高価格化によってコレクターが減少。今では厳選してコレクションを続けるマニアが僅かに残るのみで、アフターマーケットで盛んに取引されることは殆どないと言っても過言ではありません。
現在、G-SHOCKほどではないもののスニーカーも高価格化への道を辿っています。それは日本以外でのインフレによるものだけでなく、DIORやLOUIS VUITTONとのコラボレーション等は高級化への足がかりなのかも知れません。デフレ状態が続く日本の私の様な一般庶民が趣味としてコレクションを続けて行けるのは、1商品につき20,000円以下が目安です。
日本経済が停滞し、円の価値が下がれば下がるほど日本のスニーカー市場は厳しくなるのでしょう。
そして、スニーカーに限らず転売を前提として成り立つブームは残念ながら過去を遡っても長続きした試しがありません。
売る側も買う側も、そろそろ根本的に考えを改めないといけない時期が目の前に迫っている。そんな気がしてなりません。
