
Memories of Foot Locker Japan
TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )
アトモスとフットロッカーの協業が発表されたので…今回は2000年までの数年間、日本で5店舗を展開していた頃のフットロッカーの思い出を振り返りながら少し書きたいと思います。
思い出と言っても私の場合は大阪が拠点なので…フットロッカー大阪との関わりといった方が適切ですね。
これまで口頭で話したことはあっても文字にして残すことが殆どなかったちょっとした裏話。20年以上経った今だから言える?ことも含まれている…かも知れません。退屈な内容になるかも知れませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
フットロッカー日本初上陸
スニーカーに興味を持ち出してまだ日の浅い人にとってフットロッカーとはアメリカにおける日本のABCマートの様なスニーカーショップ(これは間違いではありません)という認識と、中にはその名さえ知らない人もいたと聞いています。
ですが、裏ダンクやCO.JPが誕生する以前…90年代のスニーカーブームを経験した世代にとってフットロッカーから発売される別注モデルや専売モデルは今でいうOFF-WHITE??やTravis Scottとのコラボモデルに匹敵する存在だったのです。
そんなフットロッカーが日本に店舗を構えるということは、それまで並行でしか買うことができなかったモデルをアメリカやヨーロッパと同じタイミングで、しかも正規価格で購入するチャンスが巡って来たというセンセーショナルな出来事だったのです。
下の画像は2000年2月6日に更新した私のサイトAlternate Snekersの新着コーナーをキャプチャしたものです。
大阪在住の私が東京各店の閉店日を知る由もないのに、閉店日未定店以外の情報を正確に把握していたのは…この日に発表して欲しいと当時のフットロッカージャパンから事前に依頼されていたからです。故にこれがフットロッカージャパン公認のウェブによる公式発表のひとつだったんです。

いきなり閉店告知のことから入りましたが、1年数ヶ月を遡り…ここからはフットロッカーと私との間にあったエピソードの一部を振り返ってみたいと思います。
正式な撮影許可
東京よりも遅れてオープンした心斎橋商店街にあったフットロッカー大阪。私がほぼ毎日の様に通う様になったのは言うまでもありません。
それまでは、出張の際に渋谷パルコ裏のスペイン坂にあった渋谷店に行ってAIR MAX 95イエローグラデ初復刻の追加製造版を買ったくらいしか関わりはありませんでした。
私はサイト開設当初から無断撮影はしないと決めていたので、フットロッカー大阪でもスタッフさんに一声かけて撮影をさせてもらっていたのですが、ある日…店長の上川さんから「上田さんがサイト用の撮影をこれからも続けていいか(銀座にある)フットロッカージャパンの定例会議にかけてみるので、ちょっと待って欲しい」という申し出をいただきました。

店頭に通う様になり、顔も名前も覚えてもらった頃から上川さんとはスニーカー以外の世間話もする様になり…私が以前、愛知県半田市のとある商業施設でイベントを開催し、そこの営業企画課の女性マネージャーにお世話になったことを話したところ、上川さんの前職がまさしくその商業施設の営業企画課課長で私がお世話になった女性マネージャーは上川さんの元部下だったという偶然に上川さんも私も驚きました。
これがきっかけとなり、私の身元がはっきりし、どういう人間なのかを知っていただけたので、公認の撮影許可の件をご提案いただけたのだと思います。
数週間後…上川さんから定例会議の議題にあげて、フットロッカージャパン本社から正式に許可が出たとご報告をいただきました。
但し、それには2つの条件がありました。
ひとつは新商品の場合、発売日の日付が変わったタイミング以降に画像をアップすること。もうひとつは、正式な許可を得て撮影をしているということを他言しない様にすることでした。理由はフットロッカージャパンとして他の人(サイト)に正式に許可を出すことは出来ないからというものでした。
※現在では考えられないことですが、この頃は店内風景や商品を撮影することがあまり良く思われない、撮影していると畏怖がしげな視線を向けられる…それが当たり前の時代だったのです。
以降、AIR MAX PLUSなどの話題作が発売される前日もしくは前々日の夜にフットロッカー大阪2階のバックヤードで撮影をさせてもらう様になり、上川店長や他のスタッフさんとの距離感も更に縮まりました。


デリバリーサービス
日本国内ではフットロッカーでしか購入出来ないこともありAIR MAX PLUSのニーズは高まる一方で、東京近郊や大阪以外のお客さんからどうにかして買うことが出来ないか?という問い合わせ電話が多く来ている。しかし、何らかの取り決め?があって通販がしくいのだと聞きました。
AIR MAX PLUSの発売は土曜日であることが殆どだったので、土日の店頭販売を過ぎて月曜日になっても在庫が残っている場合は、通販ではなくデリバリーサービスという名称で地方に住む方に購入の機会を提供してはどうか?その告知は私のサイトでやるからというご提案をして、それならばと試しにやってみようということに…。

当時はファッション誌に掲載されている広告を見て電話で申し込み、代引きで受取るという通販が主流でした。
フットロッカー大阪で実施されたデリバリーサービスは、電話でオーダーを受けるのは同じですが代金を現金書留で先払いしてもらってから荷物を配送するというスタイルです。実質的には他の通販と同じなのですが、書留で届いた現金をまず店舗のレジを通すことで店頭購入と同じ形を作り、荷物を持って帰れないお客さんから自宅への配送を依頼されたという設定で行えば、先の何らかの取決め?をクリア出来た様です。このやり方は時代が時代でしたし、不正ではないので成立したのだと思います。

フットロッカー別注から海外限定に…
ある日、フットロッカー別注と題したAIR MAX 95が大阪店のフェイスに並びました。
それを見て瞬間的に数ヶ月前にアメリカのフットアクションでも発売されていたものと同じだと気付き、品番を確認してスタッフさんにその旨を伝え、上川店長は直ぐにナイキジャパンの担当営業に確認したものの、品番しか分からないのでナイキジャパンでは把握できないとの返答があったそうです。
聞けば正確なことは私には分かりませんでしたが、他のリテーラーと違いフットロッカーの商品はナイキジャパンがオーダーしたものとは別枠のコンテナで入ってくる為、件のAIR MAX 95はヨーロッパ経由の便に入っていたとのこと。
その話を聞いた足でフットアクションの店頭で買付けをして同モデルを販売していたアメリカ村の並行店に向かい写真を撮らせてもらって、その画像をフットロッカー大阪の方々に見せてフットロッカー別注ではないことを確認してもらいました。そして、翌日からそのAIR MAX 95は海外限定と表示が変わっていたことは今だから言える話です。
この頃は未だ普及しは始めていたとはいえ、ネットが手軽とはいえない時代。こういう情報不足による誤認はフットロッカーに限らずよくあることでした。


フットロッカー ポップアップ店 at 天保山マーケットプレース

1999年の9月だったと思います。
セールをする場所を探しているんだけど何処か良いところはないか?と上川店長から相談を受けたので、当時私が定期的にイベントを実施していた海遊館に隣接する天保山マーケットプレースはどうでしょう?とご提案。
海遊館を含むマーケットプレースは現在、近鉄グループが運営していますが、当時は第3セクターで…民間からは近鉄が参入していました。私が行なっていたイベントの窓口は歴代近鉄百貨店の営業企画から出向されている方で、上川さんも会社は違えど同じ職種を経験されていたことが私の頭の中でフットロッカーとマーケットプレースが結びついた理由のひとつでした。
マーケットプレースにその話を伝え、興味があるとのことだったので、後日…上川さんを紹介する顔合わせの機会を作りました。
予想通り、同じ営業企画の経験者同士…フットロッカーとマーケットプレースの話し合いはとんとん拍子に進み、タイミングよくベネトンが抜けた後のスペースがあって、その場所でフットロッカーのポップアップが期間限定で開催されることになったのです。


こう振り返ってみると1ユーザーに過ぎないにも関わらず、コーディネーターの様なことをしていた私は、なかなかの図々しさでした。
でも、自分の中では公式に撮影許可をいただいたことに対してのせめてもの返礼のつもりでしていたことなのです。
ただ、セールのポップアップを行うということは…もしかすると、この頃から既に日本からの撤退の動きが水面下であったのかも知れません。

当時のフットロッカージャパン撤退にあたって10名ほどのスタッフさんがナイキジャパンに入られたと聞いています。
上川さんは別のどこかの企業に行かれると伺っていましたが、フットロッカー大阪が閉店した後、一度だけお電話で話した以降はお目にかかる機会に恵まれないまま21年が経ちました。今も何処かでお元気で過ごされていることを祈るばかりです。
そして…2021年
8月に入って間もなくアメリカの大手スポーツ用品チェーン『フットロッカー』が『アトモス』を運営する「株式会社テクストトレーディングカンパニー」を買収を発表したというニュースが流れ、スニーカー業界に激震が走りました。
事実、「知らない人からの問い合わせが人生で一番多かった」「恐ろしい数の取材が来ている」とSNSで本明さんが発信する程、周囲は浮き足だったのだと思います。
発表当日、私はニュースを見ましたよとだけLINEし、本明さんがどういう状況の中に居るのかは容易に想像できたので、それ以上は意図的に訊かない様にしました。
案の定、本明さんからの返信は
「問い合わせで忙しいです」
でした。
世間ではアトモスがなくなってしまうのか?という憶測が飛び交いましたが、私自身がニュースを見た後、即座に思ったのはアトモスがこれまで以上に強くなる!でした。
何故なら、フットロッカーはアメリカのみならずヨーロッパでも店舗展開するスポーツシューズスペシャリティストアの最大手。スニーカーのリテールが変革期を迎えつつある渦中にあって、これほど強力な後ろ盾はないからです。
もちろん、本明さんが外部の一個人である私に今回の買収の話を一切するわけもありません。
ただ、喫茶店でコーヒー片手にする雑談の中で時折フットロッカーの名が出始めたのが2年程前。その頃から今回の構想が本明さんの頭の中にあったのかも知れないと振り返ってみれば思えなくもなかったので、私自身はそれほど驚くことはありませんでした。
何より長年の付き合いです。尋常ではない動物的直感の持ち主が下した決断です。心配より期待の方が遥かに大きいのです。

かつて、フットロッカーが1990年代後半に日本に初出店し撤退するまでの約3年は日本のスニーカー市場が最も冷え込んだ最悪の期間と重なります。当時、撤退の理由は日本での売上不振とは別のところにあるとも聞き及んでいましたが真相は私には分かりません。
ですが、この度のアトモスとの協業は、日本での空白の21年間を埋めるに相応しいパートナーだとフットロッカーが判断したのが最大の理由ではないかと思っています。
