3 days in Tokyo

TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )

先日、約半年ぶりに上京。3日間の滞在期間中に欲張って9アポイント11人の方とお会いして来ました。

初日は午前中から六本木にて約3年ぶりの友人と再会。その後、2kmほどの距離なので徒歩で青山一丁目まで移動しようと考えていましたが、荷物の重さと暑さに勝てずタクシー移動。

UNDEFEATEDを日本に初上陸させ、STUSSY JAPANやUNION TOKYO等を展開する松下社長と久しぶりにお会いする為にTSIさんのオフィスへ。
更にその後、元Ollie編集の野田さんを尋ねて渋谷のファナティックさんの事務所にお伺いしました。

その移動途中…昔、ドラマのロケ地にもなったカフェがあった場所を通ったのですが跡形がないだけでなく風景そのものが変わってしまっていて時の流れを感じずにはいられませんでした。

夜はBilly’s原宿の大澤さんと友人ご夫妻が、私の宿泊先までわざわざ出向いてくださって会食。

2日目は朝からの猛暑。30度を超える5月とは思えない暑さの中…アメ横へ。

山男フットギアの菅野社長はご不在でお会い出来ませんでしたがスタッフの宇曽井さんにご挨拶。mita sneakersさんの三田社長や国井さんのお姿も見えなかったのでそのまま上野をあとにし、一旦宿泊先のホテルに戻りAIR JORDAN 1 ‘Next Chapter’のSNKRS PASSにエントリー。

「ローンチイベントに関する規約に同意します」のチェック欄の◯が薄過ぎて見落とし危うくエントリーし損なうところを前夜にお会いした方にDMでレクチャーしていただき事なきを得ました。結果は落選。しかし、いつもは対象範囲外とエントリー資格を得られない立場なので、エントリー完了の画面をスクショ出来ただけで目的は達成。

午後からは事前に予約していたレンタル会議室に移動。

雑誌「Street Jack」やムック本「スニーカーJack」の編集に10年以上に渡り携われた石原さんと一部上場企業である株式会社チヨダの取締役を経て子会社であるマックハウスの代表取締役社長を務められた白土さんと合流。白土さんとは11年ぶり、石原さんとは何と21年ぶりに直接お会いする事が出来ました。

因みに白土さんは昨年『ナイキ 最強のDX戦略』という著書を出版されました。また、1998年には『スウッシュ―NIKE「裏社史」 挑戦と危機と革新の「真実」』を翻訳出版されたり、Street Jackで「100%ナイキ主義」という連載を100回以上続けられていたので、オールドスニーカーファンの中にはご存知の方も多いはず。

石原さん、白土さんの後にお会いしたのは元Boonでライターをされていた岸さん。今も多くのスニーカーヘッズの方がバイブルとして所有しているBoon EXTRAを作った人であり、AIR MAXシリーズに最初に年式を付けた人物。AIR MAX 95とかAIR MAX 90とモデル名の後に年式を最初に付けたのはナイキではなくBoonの岸さんなのです。ナイキがそれに倣ってボックスラベルに年式を入れ出したのは1999年以降の事なのです。

岸さんとはコーラ好き、愛煙家、同じ血液型というスニーカーとは全く関係のない共通点で意気投合したのは言うまでもありません(笑)。

翌日、上京最終日である3日目の午前中に予定していたアポイントが先方の都合で急遽キャンセルとなった為、予定を変更し…息子がPASS OVERさん等と開催していたポップアップストア会場へ。私が滞在したのは初日の搬入のタイミングのみでしたが、20日のAIR JORDAN 1 ‘Next Chapter’店頭抽選の流れで足を運んでくださった方々に、改めてお礼を申しあげたいと思います。

昼過ぎ辺りから降り出した雨の中、ポップアップストア会場から原宿へ…。

リニューアル後初めてatmos BLUEへ。レセプションに出席していれば、それをテーマにコラムの1本も書けたのにと思いつつ、インバウンドのお客さんが多く接客の邪魔をしてはいけないと写真だけ撮って場を離れました。原宿店では入り口のマットが斜めになっていて不細工だったので直していたら、つかつかと近寄って来たスタッフさんがこちらを睨みつけながら何やら言ってる様でした(よく聞き取れなかった)。その表情からマットを真っ直ぐにしてくれてありがとうではなく、文句を言われたのだと思います(苦笑)。
その横柄な態度に、大阪の中でも特に柄が悪いとされる地元の河内弁が思わず飛び出しそうになりましたが(笑)そこは大人なのでぐっと堪えました(笑)。

「蟻の穴から堤も崩れる」

社員であろうとアルバイトであろうと看板を背負って仕事をしているわけですから、立ち振る舞いには気をつけないと。

気を取り直しナイキ原宿へ。かつてナイキ大阪にいた顔見知りのスタッフさんが見つからなかったので、その足でJordan World of Flight Shibuyaへ。

恐る恐る初入店(対象エリア外在住者でもお店には入れてもらえました)。ですが、10分後にそれよりも大切なアポイントが控えていたので滞在時間3分で退店。

こうして怒涛の3日間、弾丸スケジュールを終え新幹線にて帰阪。

今回の主目的は私がサイトを続ける中でご縁のあった方々のインタビュー動画の収録だったのですが、それ以外にもアポイントを詰め込み過ぎた為に上京する事すらお知らせ出来なかった方も少なくありませんでした。

あ!そうだ。今回のコラムとは全く関連性がない話ですけど…AIR JORDAN 1もNIKE DUNKもおっさん世代が生み出したスニーカーですよ。

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