1992年前後のGASBOYS

TEXT by 初代atmos店長 今井タカシ

1992年1月11日
いよいよ「公衆ベンジョ」がリリースされるのだが、そのちょっと前の話。
レコードデビューが決まり、ちょこちょこライブなんかにも呼ばれ始めた頃。
確か、インクスティック鈴江ファクトリーでのRHYTHMのお披露目イベントだったと記憶してるが、そのライブを観てくれていた岡ちゃん(現MEDICOM TOY)に、アメ横の自分が働いていたスニーカーショップ「カネオカ」で声を掛けられた。
「ガスボーイズのライブ観たよ!ヤバかったね。今度、自分の仲間にCOCOBATってヤバいバンドがいるから紹介するねっ!」と。
それからCOCOBATのベーシスト坂本くん(TAKE-SHIT)を紹介してもらった。
赤いセリカで登場。伊達メガネ、ロン毛、短パン、ライブする時いつも上半身裸、森高千里のおっかけ、一目見てピンときた!!!ヤバい奴だと!!!

会っていきなり意気投合して、COCOBATの音源なんかろくすっぽ聴いてもいないうちから、一緒に曲作ろうとか言いだして、話がグイグイ進んでいった。こういう訳の分からない勢いって大事だな、と改めて感じる。
当初ファーストアルバム「キョーレツ オゲレツ レッツゲットイル」に入れる予定だった曲「公衆ベンジョ」だが、ちょうどこの頃に坂本くんに出会った影響で、COCOBATと一緒に録ることになり、「公衆ベンジョ」が独立してミニアルバムとなったのであった。

ファーストアルバムの中でもThe Damnedをサンプリングしたり、(「俺は歩くオナコケシ」)ロックやパンクの影響が色濃く出ていたGASBOYSのサウンドだったが、COCOBATと出会ったことにより、さらにスラッシュメタル、ハードコアの要素も取り入れることになり、グループの音楽の方向性が、よりバンド志向に傾き始めたのであった。

ちなみに余談だが、この「公衆ベンジョ」がリリースされたタイミングでは、まだCOCOBATのファーストアルバム「COCOBAT CRUNCH」はリリースされる前。COCOBAT CRUNCHのアルバムジャケットを見て、度肝を抜いた。なんとPUSHEADが描いてるではないか!坂本くんとPUSHEADとの交友関係は聞いていたが、まさか、こんな形で出てくるなんて、凄すぎ!何もかもが規格外な坂本くんであった。

そしてこの「公衆ベンジョ」をリリースして以降、この曲だけを引っ提げて静岡や大阪などの地方営業なんかもちらほら呼ばれるようになってきた。そして時には、川崎クラブチッタなどの大箱では、COCOBATと共演したりして、音楽の活動領域が一気に拡がり出した。
右も左も良く分からない状態の二十歳そこそこのガキどもが、様々なイベントに出演することになるのだが、「公衆ベンジョ」1曲だけの持ち歌で、よくもまあ、今考えると、あんなにもたくさんのイベント、ライブに参加できたものだなぁ。当時のステージングの時間なんて、ひどい時で5分くらいの時もあったような気がする。
その頃には、RHYTHM自体がナツメグに所属となり、(ナツメグは代々木のライヴハウス“チョコレート・シティ”が母体となり1989年12月に設立したインディー・レーベル。KING ZABBYがプロデューサーとしてかかわる。一部の作品は、キャプテン・レコードで流通。RHYTHMはDJ DOC HOLIDAYこと須永辰緒さんがナツメグ内に立ち上げたレーベル。1993年以降は、コロムビアTRIAD内に設立したトライアドZからのリリースに注力していく。チエコ・ビューティーさんやTOKYO NO.1 SOUL SET、DUB MASTER Xさん、A.K.I. PRODUCTIONSなんかも所属していたレーベル)代々木チョコレートシティ(代チョコ)がライブの主戦場になっていた。

この頃の状況が、はっきり記憶に残っていないのだが、なんでもやりたい放題の乱痴気状態だった気が。モッシュとかして暴れまくって、酒飲みまくって、絡みまくって、管撒きまくって。。。地下にあったライブハウスだったから、すぐに酸欠状態になって、室内でタバコに火が着かないし、ただでさえ暴れまくって、飲みまくってるから、普通に意識が朦朧としていた。この頃が、今思うと無邪気で一番楽しかったかも。
音楽のジャンルなんか、細かいことを気にせずに、音楽好きならみんな仲間だ!っていう大らかな空気感、時代感に育まれていたような気がする。
自分たちはヒップホップも好きだったけど、その他にも影響された音楽は数知れず、その時代、その時代の中で好きなものを素直に取捨選択して、自分たちの音楽性の中に吸収していった。
若くて、怖いもの知らずで、好奇心いっぱいで、やることなすこと全てが新鮮で、出会う人、出会う人、皆面白くて、なんて青臭い青春時代。
この頃って、括りはヒップホップイベントでも、いろんな音楽がかかっていて、それこそPUBLIC ENEMY feat. ANTHRAX 「BRING THE NOISE」やNIRVANA 「Smells Like Teen Spirit」なんかが同列にかかっていて、暴れたい奴らはモッシュして、踊りたい奴らはBLACK BOX 「Everybody Everybody」なんかで踊って、それでいて黒いグルーブを感じる45KING「900 Number」を何故かみんなで合唱したりと、無茶苦茶だけど超絶楽しい空間だった。

またまた余談になるのだが、この頃のスニーカーはadidas METRO ATITUDE もちろんフランス製。「公衆ベンジョ」のジャケットでも自分と上杉くんとが色違いで着用。バリK~んはadidas FORUM HI こちらもフランス製。adidasのバッシュが大好きで、先述したANTHRAXのメンバーも「I’M THE MAN」のアルバムジャケットで全員履いてたり、もちろんRUN DMCの影響が大きかったとは思うが、この後、adidasフランス製バッシュ好きが決定的になる出来事が起きるのであった。

BEASTIE BOYSが「CHECK YOUR HEAD」をリリースするのである。これは待ちに待った待望のアルバムであり、1989年の「Paul’s Boutique」以来3年ぶり。
これはまさに衝撃的だった。
続く。。。

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