2022年に向けて思うこと・・・。

TEXT by Koji UEDA (Alternate Sneakers )

少し早いですが、2022年に向けて思うことを書きたいと思います。

年が明けるとフットロッカーが日本のスニーカー市場に影響を与え始めると予想しています。

かつてのフットロッカージャパンからユーザーでありながら正規の手続きのもと撮影許可をいただき、また通販やポップアップのサポート、更には撤退の際の正式告知を依頼されるなど深く関わらせていただいた立場として思うことを書かせていただくと、アメリカならではの効率や合理性だけで臨むのであるならば、20年前の二の舞いになるのはほぼ確実です。

90年代後半、フットロッカーが日本初進出を果たしたのは絶大なブームの反動で市場が冷え込んだ最悪のタイミングでした。
しかしながら、私達スニーカーファンにとって当時のフットロッカーは…例えるなら今のOFF-WHITEに匹敵もしくはそれ以上のブランドイメージがあり、フットロッカー別注とされたモデルはTravis Scottとのコラボモデルと同等以上に特別視していました。

では、今の日本のスニーカーファンの大半を占める若く新しいユーザーの多くは、フットロッカーという名さえ知らなかったという現実があり、ブランド力でいえば失礼ながら90年代後半を100とすれば現在は0に限りなく近いといっても過言ではありません。
それほど20年前のフットロッカーのイメージと現在の認知度の開きは想像以上に大きいのです。
フットロッカーの名やフットロッカー別注モデルの威光は、先入観を含めて特別の中の特別という存在でしたが、今は見る影もありません。

ネットが成熟しているという利点はあるものの…スニーカー市場が下降線を辿ろうとしている現在は、90年代後半ほどではないですが追い風の中の出航とは言い難いものがあります。そこにフットロッカーという名にかつてのブランド力が存在しないという現実を加味すると…条件的には20数年前の日本初上陸時とさほど変わらないと言えるでしょう。
それを補うためのatmos買収であるならば、日本のスニーカー市場を牽引し続けて来たatmosならではの俊敏な実行力と発信力を損なわせないことが絶対的必須条件のひとつです。

僕が懸念するのは、ナイキを代表とする徹底したアメリカ企業に見られる合理性です。企業として営利追求のために合理化を推進するのはある種当然ではあるものの、計算された合理化の先にあるのは計算以上の結果を決して生み出せないということです。それが合理化の決定的な限界なのです。
atmosに限らず、日本のスニーカーがカルチャーとして日本のみならず世界に影響を及ぼすほどになった要因は合理的観点からは無駄にしか見えない各リテーラーの弛みない数多の試みの積み重ねによるものに他なりません。

言い換えるなら

「計算された合理化のもとには残念ながらカルチャーは決して生まれない!無駄に見える様なことの積み重ねでしかカルチャーを生み出し根付かせることは不可能である!」

ということです。

時代が変ろうと、デジタル化がどれほど進もうと…スニーカーを買い、使用し、コレクションするのはアナログである感性と感情を持つ生身の人間なのですから。

かつて縁のあったフットロッカーが再び日本に戻って来ることは僕にとっても嬉しく感慨深いものがあります。そして、戻ってくるならば郷に入っては郷に従えという諺を肝に据え、かつての失敗を繰り返さず、日本に、そしてアジアに長く根付いて欲しいと1人のスニーカーファンとして、フットロッカーファンとして心から思うのです。

最後に、僕が懸念する上記のことが、取り越し苦労で終わることを願って止みません。

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