
コロナ禍におけるスニーカー市場を踏まえて、ふと頭に浮かんだ事のあれこれ・・・。
まず前置きしておかなければならないのは、自分と違う意見の人を否定する気持ちは欠片もありません。人それぞれですからね。
自分と相反する事を考えている人がいたとしても、そういう考え方もあるんだと情報として頭の片隅に置くか、即座に忘れればよいのです。稀に…なる程!と思う事があれば参考程度にする。私はそうしています。
スニーカーの歴史はたかだか110年余り。日本では運動靴やズックではなくスニーカーとしてスポーツユース以外で市民権を得たのも40年前後しか経っていません。
40年しかではなく40年も!なのかも知れませんが、カルチャーとしは長い歴史とはいい難いです。
それでも40年も経てば、そのメインユーザーは大きく3世代程に分かれます。
世代の違いというのは些か大袈裟ですが、スニーカーに向き合う時期というか起点(スタート地点)が違うと捉え方も変わって当然なのです。なので、それぞれの捉え方に正解や正当性を求めるのはナンセンスだと思っています。
何故この様な前置きをするかというと、今回はInstagramで時折ポストしている私個人の偏った?捉え方をしている内容が含まれるからです。故に私がスニーカーに相対した時期を同じくされる方からは賛同を得られる?でしょうが、そうでない方の中には理解に苦しまれるかも知れません。
それを踏まえた上でもう一度申し上げます。考え方や捉え方が違っても、それは決して批判ではなく…あくまでひとつの考え方であり、それを人に押し付けたり押し付けられたりするものではないという事を絶対的な前提としてスニーカーライフを楽しむ事が何より大切なのだと思っています。

■カッコいいスニーカーを履くのではなく、カッコよくスニーカーを履きたい。
私は記憶が確かであれば、スニーカーをカッコいいと表現した事は殆どないと思います。
女性が「可愛い」という表現をよく使うのと同じで「カッコいい」は「好き」という事ですよね?
そうなんです、私はスニーカーを見て心の中で「これ好みだな」と思う事はあっても「カッコいい」と思う事が全くないのです。
カッコいいかどうかは主観であって、誰かがそう思っても別の誰かはカッコいいとは思わない事もあり得るのですから。
それに、いわゆるカッコいいスニーカーを履いたからといって誰しもがカッコよくなれるわけではありません。残念ながら世の中は不公平です。元々カッコいい人は何を履いても何を着ても、それなりに様になってカッコよく見えてしまうのですから敵いません(苦笑)。
特に私の様に齢を重ね、世にいう劣化が進むと悲しいかなスニーカーをカッコよく履きこなすハードルがどんどん高くなっていきます。なので、せめて似合ってないかも知れませんが…自分が「好き」と思ったスニーカーをひっそりと履いて、1人でほくそ笑みたい(笑)。
昨今は人に見せる為にスニーカーを選ぶ方も多い様ですが、私はただ個人で楽しみたいだけにスニーカーを選んでいます。なので、結果的に同じ様なモデルばかりが手元に増えて行きます。


いわゆるレアでプレ値がつくスニーカーしか評価しない人もいらっしゃいます。それもひとつの選択肢なので間違いではありません。
私もレアでプレ値がついているスニーカーをいくつか持っています。でも、それは好きなスニーカーがたまたま発売数が少なくプレ値がついたというのが実際のところです。
鶏が先か?卵が先か?みたいな話ですが、発売前から話題になりレア化必至というモデルでも自分が好きだと思わないものに余り興味が湧きません(そういう時、自分の感覚が時代とズレてる?と不安になることもありますが)。

少し話が戻すと…私は自分が履いているスニーカーを人から「カッコいいの履いてますね」と言われるのが実はめちゃくちゃ苦手なんです。純粋にスニーカーを褒めてくださっているのでしょうが、いい歳をしたおじさんが何ちゃらちゃらしてんの?と言われている様なネガティブ思考が働いてしまい、苦笑いしか出来なくなってしまいます。
出来れは私が何を履いていても見て見ぬふりをして、そっとしておいてね!というのが本音なんですよねぇ。



■スニーカーヘッズの定義?
また、あなたはスニーカーヘッズですか?と問われると躊躇なく食い気味に(笑)「いいえ」と答えまいます。そして「私はスニーカーが好きなただのおじさんであり、必要以上にスニーカーを買ってしまう世間一般でいうところの浪費家の道楽者です」と答えます(笑)。これは卑屈になっているわけでなく、本心で思っているのです。

スニーカーヘッズの定義は世代によって異なるのではないかと感じています。
昨今は…
・スニーカーをコレクションする人
・スニーカーをたくさん持っている人
・四六時中スニーカーの事を考えている人
・スニーカーに詳しい人
・ハイプなスニーカーを履いている人
・他
を指してスニーカーヘッズという様です。
そして自らをスニーカーヘッズと名乗る人が多数いらっしゃいます。
それはどれも間違いではありませんし、悪い事でもありません。今はそういう時代なので、それでいいのです。

ただ、私の場合…自らの風貌に似合う服と履いているスニーカーを上手く合わせるセンスを持った人。そのスニーカーが例えハイプなものでなくとも、アウトレットで山積みされていたり古着屋の片隅にひっそりと置かれていた名もなきモデルであったとしても、その人なりのコーディネートとバランス感覚でスニーカーが映える。そういう才覚を持ち合わせた人のことをスニーカーヘッズだと思っています。その磨かれたゾーンには誰もが到達出来るものではないからこそのヘッズ(トップの領域)なのだと。
故に私は間違ってもその様な高みには及ばないので…スニーカーが好きなただのおじさんなのです(笑)。
付け加えるとカッコいいスニーカーを履いている人がスニーカーヘッズではなく、どんなスニーカーであってもスニーカーをカッコよく履いている人こそがスニーカーヘッズなのだというのが超個人的な考えです。

■ 当たり前だった事が当たり前でなくなった年

2020年は新型コロナウイルスに明け暮れた1年だった事は誰もが認めるところでしょう。
4月に緊急事態宣言が発出され、感染者が減るだろうとされていた夏には予測が外れ、感染者が増えるだろうと言われていた冬はその予測を上回る勢いで感染者が増えています。
先日、南極で感染者が出た事で世界の全ての大陸において新型コロナウイルスが確認されてたという報道がありました。
このコラムを書いている時点でも東京の1日の感染者数が1,000人に迫っています。確かにPCR検査数の分母が増えているからという理由もありますが、全国で連日3,000人以上の新たな感染者が出ている事実は見過ごせません。
これにより、飲食業が窮地に立たされている事は誰もが知るところです。
スニーカー業界もインバウンド重要の高かった店舗は厳しい状況が続いています。更にナイキジャパンはまたもや人員削減を行い11月末には相当数の方が退職されたと聞いています。
1年延期し、2021年に開催予定の東京オリンピックも本当に大丈夫なのか?と思っています。
時の総理がオリンピックを「新型コロナウイルスに打ち勝った証として開催する」と示されましたが…2020年末時点で既に約7,700万人の感染者、170万人以上の死亡者を全世界で出している時点において、もし2021年に有効なワクチンが行き渡って終息したとしても人類の勝利とは言い難いのではないか。
極めて私的な事ではありますが、11月上旬に母方の伯父が新型コロナウイルスによって命を落としました。伯父は数年前から入所者が勝手に外には出れない高齢者向けの介護ケアホームで暮らしていて、そこで職員の方を含めた10名以上のクラスターが発生し感染しました。施設から外に出る事が出来なかった伯父には何の落ち度もありません。
メディアでコロナウイルスのニュースが毎日の様に報道されていても、それまでは何処か余所事の様な感覚がありましたが、血縁者が犠牲になった事で事態の重大さが身に染みて感じられる様になりました。
自分や家族、そして大切な人を守るのは国や自治体ではなく私達個々人の努力でしか実現出来なさそうです。

新型コロナウイルスの脅威と経済への打撃は2021年になっても続きます。
イギリスで感染力が強くなった変異種が発見され、その変異種は日本にも入って来ています。
新型コロナウイルスとの戦いは人類と目に見えない敵とのまさに戦争です。
ウイルスを駆逐したり予防するのは治療薬やワクチンですが、その進行を最小限に止める方策は1人1人の可能な限りの努力しかないのが現状です。
当たり前の事が当たり前に過ぎて行く平穏な日常でなければ…スニーカーを買えた買えないで一喜一憂する事すら出来なくなってしまいます。
感染拡大はスニーカー人気だけでいい!
