
バカ&シロート
TEXT by 初代atmos店長 今井タカシ
バカ&シロートそれが信条
出禁食らってもまた登場
把握してないよん現状
テケテケて素人根性
BEASTIE BOYSの「CHECK YOUR HEAD」がリリースされたのが、1992年。
待望の3rdアルバム。一聴しただけで、ぶっ飛ばされた。
3MC & 1DJのスタイルからバンド編成のスタイルまでと変幻自在のスタイルで、まじでやられた。カッコ良すぎた。なんなんだこの感じ、全てがヤバい。グルービーでロックでヒップホップで。。。
この頃は、本当に彼らに影響を受けまくった。
ちょうど自分たちの音楽的志向が、バンドの方向に舵を切り出していたから、そのまんまの勢いで、GAS BOYSをバンド形態にしてしまった。
ギター男の高校生時代の地元の先輩だった国ちゃん(武村国蔵)をドラムに迎え、ベースには、当時よくライブ会場で見かけた、見た目インパクト重視のアジャをスカウト。アジャはもともとギタリストだったのだが、ビジュアル的にメンバーに欲しいとの理由で、無理矢理ベーシストとして加入してもらった。
そんなこんなで、バンドとしての活動が始まり出す。
確か、バンド体制になって一発目にやったライブが、横浜「Glam Slam」
で行われた「JUNGLE GYM」。ミロスのメインDJの諸先輩たちが居並ぶ緊張感あるイベント。従前のヒップホップとは違った雰囲気で、ロックな男臭い中で、ゴリゴリなノリで臨んだライブ。重くて遅いハードコアを意識して作った楽曲を初披露。予想以上に反響があって、その後バンドとしてのライブのオファーが殺到した。

ちょうど、そんなタイミングでBEASTIE BOYSのCHECK YOUR HEAD来日ツアーが行われた。その前座にGAS BOYSが抜擢されて、同じステージに立てた。その後、BEASTIE BOYSが来日する度にスタジアムクラスでライブをやっていた事を思うと、川崎クラブチッタという中規模のライブハウスで演れたのは、感慨深いものがある。
楽屋裏のトイレでたまたまMCAと居合わせて、連れションしたのは良い思い出だ。憧れのアーティストを至近距離のステージ脇から見れたし、ライブ後セットリストがドラムの脇に貼ってあったので、それを勝手に貰ったり、楽屋でメンバー全員からサインを貰ったりと、夢のような時間だったなと。
ちなみにMCAから貰ったサインはなんとカタカナバージョン。もう故人となってしまったので、二度とゲットできない超貴重品であり、自分の宝物。





そして、ニューアルバムの話も同時進行で進んでいった。
GAS BOYS 3枚目となるアルバム「バカ&シロート」
このアルバムは、バンド色を前面に強く打ち出した意欲作。
バンドでの楽曲制作の楽しさに目覚め、自分たちでやりたい事をやりたいようにやるためにセルフプロデュースで挑んだ。
この過程において紆余曲折があったのだが、日本コロムビア内のナツメグのザビさんが作ったレーベル、TRIAD Zからメジャーデビューと相成った。
出来の悪かった自分たちは、ミロスを破門になり、(ここの部分の詳細は非常にセンシティブな内容になってしまうので、今後自分なりに咀嚼できるタイミングが来たら後述できればと思ってる)遊びの主戦場を当時六本木の防衛庁横にあったエロスに移すのであった。




宇治田みのるくん率いる毎週水曜日のイベント「Surf&Skate Rave」に通い出した。(R?HALLの「スーパーフライデー」より以前の話)
新宿ミロスのクラブキッズのノリから、一気に六本木のコギャル!なんかを相手にしながら、自分たちのアホなノリが加速していった。
このタイミングと前後してFINE編集長だった大野くんとも親交が深まり、FINE NIGHT全盛期へと繋がっていく。
ちょうど時代的にもカオスな状態で、そのエロスに集っていた連中は、サーファー、スケーター、B-ボーイ、バンドマン、芸能人にFINEモデル、さらにやんちゃ系の奴らなど、グチャグチャで、いつもなんかあったなぁ。トラブルなんて朝飯前で、(もちろん深夜に起こる出来事だったので朝飯前なのだが、、、)今まで出会ったことのない怪しい雰囲気のギンギンギラギラした人たちが本当に多く出入りしていて、六本木すげえな、なんて妙に感心したものであった。
すごい人の量で、平日なのに入場規制なんかもして、店内はいつもパンパンで若者の熱気とパワーに溢れかえっていた。エロスって名前が、そう連想させるのか、どうなのか、新宿界隈じゃ見たことも無い、エロいお姉さんたちもたくさん集っていて、とにかく、はっちゃけて、楽しければなんでも良いみたいな享楽的な雰囲気に圧倒されて、ここでも飲みまくって、遊びまくって、六本木の夜を満喫した。




ファッションとスニーカーの話を少し。
BEASTIE BOYSに完全にやられた自分たちの足元は、もちろんadidas CAMPUS made in France。ビーニー被って、X-LARGEやチャンピオンのスエットを着て、気分はBEASTIES。adidas CAMPUSは,仲間のマサを頼って初めて行ったL.A(1992年)でゲット!CAMPUSを探してるとマサに伝えたら、ハモサビーチのHEAD SHOPにあったよ、とのことで、早速行ってみた。怪しく香ばしい感じのHEAD SHOPに立ち並ぶ巨大ボングなんかに怯みながら、店内の奥へと歩を進めると、そこに神々しく鎮座していたのであった。興奮して買ったのを覚えている。バッチリなコンディションでマイサイズのCAMPUSが55ドル。ヤベーってなって友達の分も含めて5足ゲット。この時代の買い付けは本当に楽しかった。お宝がL.A市内にもゴロゴロしてて、それこそFOOT LOCKERのアウトレットのバックヤードなんかにも、adidas made in FranceのFORUMとかPUMA BEASTやらNIKE AIR PYTHONなんかもあったりして、プライスも捨て値で20ドルとかで出ていて、すげえ、良い時代。この後1994年頃からL.A辺りじゃ、お宝も掘り尽くされて、デッドストックを掘るには厳しくなっていくだが。。。
この頃から雑誌FINEでモデルっぽい仕事もするようになり、FINEモデルの女の子たちとも仲良くなって、チャラい感じ全開で、FINE NIGHTで全国へと繰り出して行き、新たなステージへと突入していくのであった。
続く



