
NIKE SB -1-
TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )
スニーカー人気に翳りが、ブーム終焉と多方面で語られる最中…まだ勢いが残っている方?のNIKE SBについて、私自身の思い出と記憶を辿ってみたいと思います。
NIKE DUNK SBの登場
2002年当時、並行輸入卸会社の営業マンだった知合い(HECTICとmita sneakersを繋ぎコラボレーションnew balance MT580誕生のきっかけを作ったお1人)が出張中のアメリカからメールを送って来てくれました。
某展示会場でナイキがスケートボードシューズを展示していて、その場にいた担当の方が顔見知りというともあり「日本のスニーカーサイトに載せたいので写真を撮ってもいいか?」と口頭ではあるものの許可を取り、日本時間の夜にはその画像を送るからという内容のものでした。
その画像が届いたのは日付が変わって暫くしてからでした。その時の画像がこれです。

暫くして国際電話がかかって来て…ナイキは過去にもスケートボードシューズに参入したが上手く行かなかったこと、NIKE DUNKはソールが薄くデッキ面の感触が足裏に伝わりやすいのでAIR JORDAN 1などと共にスケーターから好まれて来たこと、レギュラーのNIKE DUNKとは違いシュータンが厚くズームエアを組み込んだソックライナーが採用されていること、各モデルの販売予定足数、スケートボードショップやプロの契約ライダーがカラー提案していることなど…その方は私がNIKE DUNK好きであることを知っていたこともあり受話器越しに懇切丁寧に説明をしてくれました。それを文章化し日の出前の時間にアップしたのが下の記事になります。
サイト開設以来、画像の無断使用やリークは行わいないと自ら定めていましたが結果的にリークに近いものになってしまい、世界的には調べようがないので何とも言えませんが、少なくとも日本で最初にNIKE DUNK SBを一般に紹介したのはAlternate Sneakersということになり、その反響は思いも寄らないほど大きなのものでした。

記事を公開した日の昼過ぎから知合いのスニーカーショップからの問い合わせの他、スタイリストや出版社から画像を貸して欲しいとのメールと電話が複数入ったのです。
ですが、撮影許可を取ったのも撮影したのも私自身ではなかったので全てお断りをしていました。
唯一、上京の際に何度か食事をご一緒させていただいていたストリートジャックの編集長さんには画像単体ではなく、NIKE DUNK SBを紹介したサイトのページをキャプチャするという条件をのんでいただき、僭越ながら許可を出させていたいただきました。

DUNK SBの撮影許可をとってくれた並行輸入卸会社の営業マンの方は、三重県でHECTIC、MASTER PIECEをはじめストリートブランドのセレクトショップも営まれていて…どういうルートかは私にはわかりませんが、ダニー・スパやZOO YORKなど最初期の日本未発売DUNK SBを多分各20足以上は並行で仕入れられ販売されていました。
そのショップ名はここでは控えますが、mita×HECTICのnew balance MT580を定価で取り扱っていたので当時のスニーカーヘッズの方の多くはよくご存知のはずです。






NIKE SB 国内正規リリース
日本国内で最初に正規販売されたNIKE SBはSupremeとのコラボレーションモデル NIKE DUNK LOW PRO SBです。
日本におけるNIKE SBの成功はSupremeのブランド力によるところが絶大です。
ウェブを含むナイキの直営店でも販売はなく、Supremeのみの取扱いであったことも功を奏したと思います。スニーカーそのものの販売能力に長けているとはいえないスケートボードのプロショップではなく、Supremeを販売チャンネルに選んだナイキは流石と言わざるを得ません。
その後、暫くの間はNIKE SBはSupremeで取り扱われる商品だというイメージでした。
正確には調べてみないと分かりませんが、2004年から2005年頃から本格的にスケートボードショップでの取扱いが始まります。ただ、ナイキが選んだのは全国に20店舗あるかないか。理由はナイキが得意とするブランディングなのか?もしくはNIKE SBに相応しいスケートボードショップが少ないからなのか?あるいは、ナイキジャパンが扱う足数そのものが少ないために取扱い店舗数を絞らざるを得なかったのかは定かではありません。
何れにしても、NIKE SBの黎明期の成功はSupremeなくしてはなかったと誰もが認めるところだと思います。


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