2023年2月のとある日に思った事

TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )

毎年2月中旬の発売が最早恒例?になったAIR JORDAN 1 ’85。 2020年から数えて4度目の今年は”Black/White”が登場し…それなりの盛り上がりを見せたわけですが、これでスニーカー人気は未だ未だ現在だと思うのは残念ながらそうでもなさそうです。

というのも、TOKYO23の店頭抽選に臨まれた人数を見ると…昨年のGeorgetownカラーが発売された2月15日の平日(火曜日)に並ばれた人数は230名。
対して今年も発売日は2月15日の平日(水曜日)で並ばれたのは137名と約4割減っています。
しかも、昨年に比べてコロナによる行動制限がなく、且つドレスコードが1種類増えたという好条件にも関わらずです。

もちろん木を見て森を見ずとなり、この件だけで決めつけるのは正しい判断とは言えませんが…動向変化の線として捉えてもいいのではないでしょうか。

同じ様に…過去を振り返ってみてもブームが落ち着いたからといって何もかもが売れなくなったかというと決してそうではありませんでした。
分かりやすいところではハイテクスニーカーブームが去ったと言われる1997年後半にあたる9月にAIR MAX 95(AIR MAX SC)イエローグラデの初復刻があり、ナイキショップ等の取扱店には前夜から大勢の方が徹夜で並ばれました。その後も約1ヶ月毎に発売されたレザー仕様のブルーグラデやレッドグラデもそれなりのセールスを残しています。他にも紫ポンプと呼ばれたReebok INSTAPUMP FURYのリストックも簡単には入手出来ない状況がありました。
そして全くの同時期…それまで飛ぶ鳥を落とす勢いだったAIR MAXシリーズの最新作であるAIR MAX 97がファーストカラーのシルバーを除いては、その売れ行きに急ブレーキがかかりました。更にAIR JORDAN 12の黒赤(BRED)に至っては天地が逆さになった様な不人気ぶりを呈し、これを目の当たりにした当時のスニーカーマニア達はブーム終焉を感じずにはいられなかったと思います。
2000年代に入って以降の浮き沈みの際も、スニーカーが売れなくなったと言われつつも…一部の商品は前日から並ばないと買えないモデルが数多く存在したのです。

AIR JORDAN 1 ’85の事に話を戻しますと、昨年のGeorgetownカラーとほぼ同数であると仮定するならば”Black/White”も5,000足程度だと思われます。
その内、SNKRSでの取扱いが約9割あったとして前日の限定アクセスにあてがわれたのは何足かは分かりませんが…過去の状況から考えると15日の一般抽選の当選数は4,000足前後だったのかも?そこに数10万件(もしかすると更に一桁上?)以上のエントリーがあるわけですから、そうそう当たるものではありません。

余談ですが、昨年9月発売のAIR FORCE 1 “WEST INDIES”の国内正規発売数はAIR JORDAN 1 ’85 “Georgetown”の約10分の1と言われていますので、レア度=人気度は必ずしも比例しないという事ですね。

さて、AIR JORDAN 1 RETRO HIGH OGに比べて数を絞ったAIR JORDAN 1 ’85は、将来のマーケットを構築する目的で今後も需要と供給のバランスを意図的に乖離させた展開を見せると思います。
また、D2Cにシフトした事で在庫が膨れ上がり、一方で卸の成長率が直販事業を上回った事もあって本国の上層部がリテーラーの重要性を語り始めたというニュースもありました。

え?今更ですか?と思うと共に臨機応変な対応は経営にとって不可欠なので流石と思いつつも、舵取りを数字だけに頼るとカルチャーは作れないという事も少しは理解して欲しいなぁと思った2023年2月のとある1日でした。

Related Article List