裏ダンク

TEXT by Koji UEDA(Alternate Sneakers)

7月末に登場した赤白のNIKE DUNKを反転させたこのNIKE DUNK LOWが裏ダンクかというと否である。

裏ダンクという通称(俗称)は、例えばAIR FORCE 1の白蛇や黒蛇がユーザー発信であったのに対し、ナイキジャパンないしは取扱い店、及び雑誌メディア発信(発売直前にナイキのPR担当だった?坂井さんがどこのお店で発売されるかは秘密で、それを探すのも楽しみのひとつとインビューに答えられていた雑誌記事があり、その中で裏ダンクと仰っていた様な、いない様な)だったと記憶しています。
裏ダンクという呼び名の由来として周知されているのはオリジナルのカラーブロックを反転させたものという理解は正しくもあり、また間違いでもあります。

命名のきっかけは初復刻以前に存在したオリジナルを表、その反転カラーバージョンを裏と当初位置づけたわけですが…初っ端から疑問が生じました。

1999年8月

それはミシガンカラーの反転バージョンである黄紺だけでなく、オリジナルと同じカラーブロックである紺黄が裏ダンクとしてラインナップされ同時発売されたからです。
その際、取扱い店であったミタスニーカーズさんの責任者の方や山男フットギアさんの社長に反転ではないオリジナルカラーが何故裏なのか?と直接確認した(ナイキさんにも確認していただいた)ところ、同時期発売の裏ダンクであるハイカットの白紫、灰紺、ローカットの黄紺、灰赤と共に紺黄のローカットもCity attackという東京上野をメインとした限定カテゴリーに属していてるので裏ダンクになるという回答でした。

1999年8月(QSの一部は7月)

※裏ダンクの対比的存在である表ダンクはQuick strikeという比較的広い販路で展開される限定ラインで東京以外のアカウントの高い全国のスニーカーショップでも発売されました。

裏ダンクをオリジナルカラーの反転バージョンだと理解するのは正しくないというのは、1999年の10月、11月、12月に発売された裏ダンク(City attack)を見ても分かるはずです。
対比となるQuick strikeの表ダンクを見てもどれひとつとしてオリジナルカラーは存在しません。

1999年10月

1999年11月

1999年12月

裏ダンクはハイテクスニーカーブームが終焉を迎え、ナイキに限らず各メーカーが不振に喘ぐ中…当時のナイキジャパンが生き残りをかけて勝負をかけたプロダクトであり、事実上のCO.JP第0弾なのです。
故に裏ダンク誕生に携わった当時のスタッフさん達の死にものぐるいの頑張りに敬意を表する意味でも通称にしか過ぎないかも知れませんが、裏ダンクという名称は1999年のCity attackだけだと理解していただきたいのです!

裏にも表にも属さない1999年発売のQuick strike

今後、新たに発売させるNIKE DUNKを「これ裏ダンクだよぉ〜ん!」(笑)とAIR MAX 96 IIと同じ様にナイキが言い放つ可能性はなきしもあらず…なんですけどね(苦笑)。

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