
adidasについて思うこと
TEXT by Koji UEDA ( Alternate Sneakers )
現在の日本のスニーカー市場って、日本の政治の世界の与党と野党に似てるなと思うんです。
与党がナイキで野党第一等がアディダス。それに追随するニューバランス。そして新興勢力として維新を期待されているHOKA、UGG、On。
ここ数年、与党が強すぎて政権交代するほどの支持や魅力を野党に見出せない現状。
似てますよね?
それでも、ナイキより遥かに歴史が長く、そのライブラリーは一歩も引けを取らないアディダスに期待が寄せられるのは必定なのです。
■アディダス会
2021年10月から12月まで全国10ヶ所(千駄ヶ谷、京都、広島、名古屋、岡山、札幌、横浜、福岡、金沢、大阪)で開催されたアディダス会にて毎回の様に問われたのは「どうすればアディダスは売れるようになるのか?」でした。

私は京都開催の折、事前告知されていたパネラーとしてではなく、急遽お客さんの前に出ることになり僭越にもお話させていただいたのですが…「どうすればアディダスは売れるようになるのか?」の問いに対する答えは「分からない」というのが正直なところでした。
アディダスジャパンの方も日々そのことについて試行錯誤し、あらゆる手立てを試みられていても有効な手段に辿り着いていないのに、私の様な者がその答えを容易に、しかも即座に出せるはずもないのです。

■アディダスの普及率?
先日、所用までの時間調整を目的にコンビニのイートインでコーヒーを飲んでいた時のことです。
暫くして80歳は超えているであろう老人の方々がそのイートインにやって来たのです。どうやら近所のご老人達の井戸端会議の場所になっているみたいで次々に増えてきたので、1人のお爺さんに席を譲ったのですが、その際に目に入った足元がSUPERSTARでした。
また、別の日に信号待ちしている交差点で運転席から下校時の女子中学生のグループを眺めていたら、約半数がスリーストライプスのスニーカーを履いていました。
80歳以上のご老人やもしかすると昨年までランドセルを背負っていたと思しき中学生が1万円を超えるスニーカーを自ら買うというのはなかなか考えにくく、家族が買ってくれた廉価モデルやセール品を履いているとみるのが妥当ではないかと思います。
■BOOST
2013年に発表されたクッション性と反発性に優れたブーストフォームは、その履き心地によって話題となりNMDシリーズは一時入手困難モデルとなりました。
また、ブーストの容量が多くNMDの履き心地を凌駕するUltra boostもヒット作となるものの、2万円を超える価格帯がブレーキとなった印象があります。
因みに私はNMDを1足、Ultra boostを3足購入し、今も時折履いています。
そして、カニエ・ウェストがプロデュースする
スニーカーとしてリセール市場においても不動の人気となったYEEZY BOOST 750やYEEZY BOOST 350が2015年に登場。
3万円を超える価格帯をものともせず、発売日には店頭に長蛇の列が出来るほどになりました。

その勢いに乗って翌年の2016年には早くもYEEZY BOOST 350のアップデート版としてYEEZY BOOST 350 V2を発売。
2017年にYEEZY BOOST 700、2018年にはYEEZY 500とYEEZY BOOST 700 V2が新たに加わり、更に2019年にYEEZY DESERT BOOT、YEEZY BOOST 380、YEEZY 500 HIGH、2020年にはYEEZY QUANTUM、YEEZY 700 V3、YEEZY SLIDES、2021年にYEEZY 450、YEEZY 700 V3、YEEZY FOAM RUNNERとYEEZYシリーズは増殖を続けています。
そのラインナップ数だけでなく、発売ペースも2017年以降は加速度的になり、毎月数モデルをリリース。正直なところ訳がわからなくなっています(苦笑)。
勢いに乗り過ぎたというか調子に乗った結果…最近では比較的購入しやすい状況に落ち着いてしまった感が否めません。
ですが、2015年以降のスニーカーブームの一翼を担ったナイキ以外の筆頭は紛れもなくYEEZYシリーズであることは誰もが認めるところでしょう。
但し、発売ペースにもう少し変化を加える工夫をしていたら、もっと長続きさせられたのに…とは思います。

■オリジナルスストアとブランドコアストア
直営店のカジュアルラインを扱うオリジナルストアとスポーツラインのブランドコアストアという位置付けがありますが、ブランドコアストアの方でもカジュアルラインの一部を取り扱っていたりするので、2つの棲み分けが曖昧に見えてしまい、双方の特徴が分かり辛くなっている様に個人的には思っていて、今ひとつ情報の風通しが宜しくない様に感じるのは、こういうことが要因のひとつになっているのかも。

■偏った?イメージとユーザーの懐事情
私は決してナイキしか履かないわけではありません。今もアディダスは手元に20足ほど持っています。元来コート系が好きなので今年大量に発売されたFORUMや次に復刻されれば必ず欲しいBROUGHAMも気になるところです。
では、そんな私が今のアディダスに持っているイメージを一言でと問われると…。
「いつも何処かでセール中」
というアディダスジャパンさんには申し訳ないのですが、辛辣な答えになってしまうのです。



では、2021年に購入したアディダスは?というと、adidas Originals FORUM LOW YOYOGI PARKの1足のみ。
これは私事に限ったこと?かも知れませんが、数日毎にリリースされるバリエーション豊富なナイキの中に欲しいモデルが多くあり、アディダスにまで予算をまわせないという理由があります。意外にこれがアディダスだけでなく他のメーカーの売行きにを抑え込んでしまっている様な気がします。

■アディダスに欠けているのは?
アディダスに欠けていることがあるとするならば「アディダスでなければならない」ということ。
アディダスでなければならない、アディダスだから欲しいというブランディングを再び構築する必要がある!なんて当たり前のことを今更私が言うのもお門違いですが、こんなキーワードをひとつ…。
「今、買わなくてもいつでも買えるアディダス」
「今、買わないと買えなくなるナイキ」
この違い…根深いものがあると思いません?



■チャンスとそのタイミング
15年くらい前でしょうか。飯田馬橋から神楽坂を登って迷いながら(苦笑)移転前のアディダスジャパン本社にお邪魔した際、今は当然の如く行われているファッションブランドとのコラボレーションを「敢えてやらない様にしている」というスタッフさんの言葉をよく覚えています。
それはグローバルからの理解が得られなかったのか、ナイキを筆頭に他社がやっている真似事の様なことをしないという方針やプライドによるものだったのかは定かではありません。
ただ、その時は現在よりもコラボレーションが極めてスペシャンなものであると捉えられていた時代だったので、そこに踏み込まなかったのは今振り返っても勿体なかったんじゃないかな?と思います。
■コンソーシアム
プレミアム限定スニーカーを各都市のセレクト・スニーカーショップのみで展開する「adidas Consortium (コンソーシアム)」がスタートしたのが2007年8月だったと記憶しています(分かりやすいいうと、コンソーシアムとはナイキでいうところの超限定ラインです)。
コンソーシアム開始当初、AMERICANA HI VARAN、FORUM LOW LADYBUG、FORUM HI、GRAND SLAM ODDITY、ZX 8000 MONACO、SUPERSKATE MACAU、DECADE LO LAS VEGAS等が続けてリリースされました。どのモデルも販売足数が極めて少なく、また20,000円前後と当時としては高額であったにも関わらず、好調なスタートを切りました。

ただ、初期の頃は足数が少な過ぎてコンソーシアムモデルの希少性やコンセプトそのものがスニーカーファン達に浸透しなかった様な印象でした。
それは、ナイキでも稀にあることで販売足数が極めて少ないと発売直後は瞬間的に話題になるものの…その後、現物を目にする機会がないままユーザーの記憶に深く刻まれることなく忘却されてしまうという事例があります。
コンソーシアムラインは今も現在です。
ですが、多くのユーザーがそれにスペシャル感を覚えていないのは、情報不足故。限定でレアだけど何となく出ているみたいな印象になってしまっているところが問題あり?
■まとめにならないまとめ
現在、ユーザーがSNSを使って勝手に情報を拡散している時代です。ナイキはそれを最も上手く利用しています。
一方で、少なくともスニーカーヘッズを自称する人でアディダスの名を知らない人はいません。しかしながら、アディダスを履いたことがないというスニーカーヘッズが存在するのも紛れもない現実です。
歴史も長く、素晴らしいアーカイブを数多く所有しているにも関わらずナイキに溝をあけられてしまっているアディダスに足りないものは情報伝達率不足であり…売れるとなれば、大量生産、ばら撒く様な大量販売に踏み切ってしまう
余裕のなさに加えて、PRが効果的に機能していないということに尽きるのではないでしょうか?


ならば、思い切って原宿界隈を歩く人全員がアディダスを履いているという原宿ジャック的なプロモーションが出来ないものだろうか?
全員は無理でも、原宿にあるスニーカーやアパレルのショップスタッフが揃ってアディダスを履いて仕事をしている日を数日間設け、街ゆく人々にアディダスの認識付けをするということなら出来るのでは?
などと思い付きでしかないことも考えたりもします。

まずは、アディダスに興味を持っていない人に興味を持たせる。
それは、何かひとつの施策で打破できるものでないことは百も承知。
急がば回れではないですが、アディダスに興味を持たせるための地道な活動の積み重ねしか術はないんでしょうね。そしてその中で「アディダスでなければならない」というイメージを植え付けていく。

そう考えるとatmosとアディダスが組んで開催したアディダス会は、アディダスについてユーザーに考える機会をもたらす有効な手段のひとつであり、今後も続けて欲しい試みだと思います。
その先に必ず政権交代につながる糸口を見出せるのではないかと…。



■画像ギャラリー
mi adidas




199年-2000年当時に発売されたモデルとadicolor

カタログ(1999年)より

